エッセイ(2006年1月6日)
Nao-sanのひとりごと



 私はよく人から実際の年齢より若く見られたり、年の割にはパワフルだと言われたり、バイタリティーがあるなどと言われることが多い。自分では特に何か努力しているわけでもないので、どうしてそう思われるのかよく分からないのだが、もしかするとそのせいかも、という点が三つほどある。
 先ず第一は「余計なことにエネルギーを使わない」

 人からどう思われるかばかり気にしたり、世間体に神経を使ったり、何かよくないことが起きないようにといつもビクビクしていたら、実際に何かあった時にはエネルギー不足でペシャンコになってしまう。人生には予想もしないことが起きるものなのだからそれを恐れていては生きて行けない。

そんなことにエネルギーを使わずその分を全部自分に向けたら誰だってパワフルになれるはず。そうすればたとえ何かが起きてもそれに立ち向かえるだけのエネルギーの蓄えがあるから大丈夫。必ず乗り越えられる。

 過去や未来にも余計なエネルギーは使わない。過ぎてしまったことを悔やんでも消しゴムで消すわけには行かないし、未来も予想は出来ない。今現在の生き方が未来を作るのだから「今」という時を最大限に楽しんで生きればいい。今の自分がしたいこと、やってみたいこと行きたい所にこそ十分にエネルギーを使おう。取り越し苦労や先取りの不安が大好きな人が多すぎる。

 第二は「自分にウソをつかない」

 人によく思われたいがために心ならずも相手に合わせてしまったりノーが言えなかったりと自分でない自分を続けていたらストレスのかたまりになってエネルギーは消耗する一方だ。とは言え、社会で生きて行くためには時に自分でない自分を演じることが必要な場合もある。
そんな時は「ここだけは譲れない」という確固たる自分を守りながら、どうでもいい部分では妥協すればいい。世の中たいていはどうでもいいことのほうが多いのだから。いちいち自分の信念やプライドを振り回していては調和が取れない。だいたいプライドなんてものは自分の「立場」からのものだったり、劣等感が裏にあったりする「どうでもいいもの」の最たるものなのだから。人間としての尊厳や誇りとは違うものだと私は思っている。

 第三は「アタマではなくハラで生きる」

 つまりは本気で生きるということ。それが誠実ということだと思う。自分に誠実であれば人にも誠実でいられる。アタマで考えた誠実ではないからホンモノだ。感じたことは素直に表現しよう。おかしければ大声で笑えばいいし、悲しかったら泣けばいい。腹がたったら本気で怒ろう。ハラからの怒りは相手に届く。感情的な怒りは逆切れさせるだけだけど。

よく人を傷つけたくないし自分も傷つきたくないからあまり人と深くつきあわないという人がいるが、人生は時には知らずに人を傷つけたり傷つけられたりするものだ。そんなことは恐れずとことん付き合ったらいい。傷ついたならそれを表現すればいいし、逆の立場なら素直にあやまろう。それが人間らしい付き合いというものではないだろうか。おっかなびっくりの付き合いなんて面白くもおかしくもない。味のない料理のようなものだ。

 おまけは「流れをよくする」

 身体の健康は血液とリンパと気の流れが順調でさえあればたいていは守られると思っているが、それは当然代謝システムも順調に働くということ。私は便秘になったことはない。勿論「心の便秘」にも。(エッセイ「心の便秘」参照)

また、水と空気とお金はどれもエネルギーなので澱むと腐るというのが私の持論。我が家がとても住み心地がいいのは、この「気」の流れがいいからではないかと思っている。お店、居間とキッチン、和室、2階のロフトが2箇所、屋根裏部屋といくつかある部屋がどこも閉め切った所がなく、家の中にも窓があるので常に家中の空気が流れている。最初からそれを意図したわけではないのに自然にそのような形になったのは幸運だった。

  そしてお金。これは実に流れがいい。借金はあっても貯金は常にゼロなので決して腐ることがない。これまでの経験から、天は必ず必要なだけは与えてくださると言うのが私の信念になっているので、貯金がなくても全く不安はない。決して余分には来ないのが面白い。
宇宙の真理への絶対の信頼。もしかしたらこれがパワフルになることの最大の鍵かもしれないと、今これを書きながら気がついた次第である。