エッセイ(2003年2月3日)
Nao-sanのひとりごと





「人間関係が苦手」「コミュニケーションがうまく出来ない」「人との距離の取り方が分からない」という若い人達が多い。相手を傷つけないか心配で自分も傷つきたくないからあまり深く付き合おうとはせず、気ばかり使うから疲れてしまうらしい。その一方で平気で人の肉体的なマイナス面を嘲笑することでいじめをする連中もいる。そのどちらも根っこの所は同じなのではないだろうか。

つまり「自分自身」というものがないのだ。自分なりの価値観、一本筋の通った信念がなく、安易に既成概念や常識で判断しているだけだから全部借り物。自信がないのだ。若い人たちには大いに悩んでほしい。自分は何で生まれて来たのか、人生とは何なのか、人生の目的とは? 目標と目的はどう違うのか。

それらに答を与えてくれる本が沢山出回っている。携帯メールやテレビゲームに使う時間をもっともっと悩むことに使ってほしい。そして何とか自分なりの答を見つけてほしい。

生きて行く上で大切なことはそんなに沢山はない。自分の心にウソをつかないこと何か行動する時は動機が「愛」であること、常に自分も相手も尊重すること。いつも自分自身を振り返ってこの三つに当てはめてチェックをしてみたらいい。そして出来るだけ若いうちに「死」とは何なのか自分なりの結論を出しておくこと。これは年齢によって変って行くかも知れないが、それはそれでいいと思う。

つまらないことにはこだわらず、どうでもいいことはどんどん妥協する。世の中ほとんどどうでもいいことだから。これだけは譲れないというものさえ分かっていればいいのだ。英語の PRIDE には「誇り」という意味があるが、日本語で言う「プライド」と「誇り」は違う意味で使われている。日本語のプライドはたいていどうでもいい安っぽいもの。そんなものは「意地」や「我」と同様捨ててしまった方がいい。何の役にも立たないから。それよりも自分なりの誇りある美学を確立してほしい。

言葉によるコミュニケーションに大切なことは「タイミング」「言葉使い」「言い方」の三つ。そして自分の気持を率直に伝えること。誰に対しても同じように、「攻撃」や「媚びへつらい」にならないように。これは一つの技術かも知れない。失敗をしながらでも繰り返して行くうちに人間関係が苦にならなくなるはずである。

私がいちばんキライなのは人によって態度を変える人。ご本人は気付いていないらしいが相手が自分より上か下かで判断し、「上」と思う人には決して失礼なことは言わないのに「下」と見る人にはとたんに態度がエラそうになる人。日本語には敬語、タメ口、女言葉、男言葉があるから相手の年齢や立場でその「言葉」を使い分ける必要はあると思うが、その言葉に込められた心はいつも同じでありたい。誰に対してもいつも等身大の自分でいればいいのだ。そうすればへりくだり過ぎにも傲慢にもならずに人との対話がラクに出来ると思う。

それからもう一つ日本語で二つ意味のあるのが「常識」という言葉。これにはいわゆる世間の常識つまり「〜ねばならない」式の考え方と、社会の中でお互いが気持よく暮らすための暗黙の了解及び公衆道徳とでも言うべきマナーの意味と二つある。前者は時代と共に変わったり、それに縛られると自分らしく生きられなかったりするので鵜呑みにするのではなく、時には破ることも必要かもしれない。しかし後者の方は自分の良識で判断すれば自ずと答は見つかるはず。この二つをゴチャゴチャにしている人がいるから要注意だ。

社会でお互いが気持よく暮らして行くためのルールは必要だが、考え方としての「常識」は国や時代や環境で全く違う場合がある。法律ですら絶対ではない。刑法があるから犯罪を犯さないのではなく、自分の誇りが許さないからやらないだけというのが本当の態度じゃないだろうか。校則なんかずい分ヘンなものが多い。どうでもいいものは妥協すればいいが、これは絶対おかしいというものがあればクビを賭けて戦ったっていいのだ。若者にはそのくらいの覇気を持って生きて行ってもらいたい。