エッセイ(2003年10月17日)
Nao-sanのひとりごと




 最近ある雑誌で「身・口・意(しんくい)」という言葉を知った。仏教の言葉だそうだけれど身は行動、口は言葉、意は思いの意味で、この三つが隙間なくくっついていなければならない。もし隙間が出来るとその間から魔が入るということだそうだ。
 私自身はどうだろうと思わずわが身を振り返る。思っていることと口に出す言葉と行動とが隙間なくぴったりとくっついているだろうか。思っていることは人には分からないし、言葉はいくらでも飾ることが出来る。行動も努力をすればいくらでも「良いこと」をして人の目をごまかすことが出来る。でも絶対に嘘をつけないのが自分自身、つまり自分の良心だ。その自分の良心に恥じないような思いと言葉と行動で毎日生きているだろうか。その間には隙間はないだろうか。
 今のところ辛うじて何とか合格点かな、とヒヤヒヤしながらの自己採点。これからもこの言葉を忘れずに隙間のないよう気をつけなければならないと思う。
 一般社会ではホンネとタテマエを使い分けるのは当たり前でそれが出来るのが大人の条件のように言われて来たが、21世紀に入った現在それは崩れ始めているような気がする。これは「口」と「意」の間に隙間があるということだからこれまでの物質社会では是とされても、もっと進化した心の世界では非なのだ。ホンネで語りホンネで生きないと間があき、魔が忍び寄る。とても厳しい世界になったということだ。しかしそのホンネが問題。狭い心と貧しい価値観からの差別や偏見、いじめにつながるホンネではどうしようもない。そういう低いレベルでの身・口・意はここでは論外とする。

 「良心」という人間にだけ与えられた神からの贈り物を忘れた人達の起こす信じられないような事件が毎日報道されているが、この尊い聖なる贈り物を大切にし、それに恥じない生き方を先ず親がしなければならないと自戒をこめて痛感している。