エッセイ(2003年1月26日)
Nao-sanのひとりごと




フィンドホーンの創設者の一人アイリーン・キャディの言葉に All is going very very well(すべてはうまくいっている)というのがあり、これは私たちの間の合言葉のようになっている。
人生の中での失敗も不幸もすべてOK。そのままでいいのだ、すべてがうまくいっているのだからという実に楽天的でポジティブでノーテンキな考え方だが、それこそがまさにニューエイジの真髄。どんな出来事もこのように受け止めることが出来たら、とてもラクに生きられるようになる。
人生は一瞬々々が自分の選択。自分の深い部分の無意識がベストの選択をしているのだから、たとえ何が起きようとそれは自分にとって必要なことなのだ。何かうまく行かないとそれをすぐ人のせいにする人が多いが、それはおかしい。自分の選んだことの結果はすべて自分で責任を取る。落とし前をつける。それが大人っていうもんだ。
一見不幸に思えることがあとで考えると幸福への入り口だったという実例はいくらでもある。昔から「人間万事塞翁が馬」とか「禍福(又は吉凶)はあざなえる縄のごとし」とか言う言葉があるくらいこれは真理なのだ。今目の前にある現象だけ見て落ち込んだり後悔したりは早すぎる。自分の魂は常に自分にとっての最善の選択をしているのだということを信じよう。あとで振り返って必ず「あのことがあったから今がある」と思える時が来るのだから、いたずらに自分を責めたり、人を恨んだりせずに辛抱強く時が来るのを待とう。
私も人が人生で絶対に遭遇したくないような不幸な出来事に何回も直面した。その度に嘆き悲しみ出口の見えない長い真っ暗なトンネルの中で絶望し、自殺したいと思ったことも何度もある。でもその度に思い留まり、少しずつでも歩き続けているうちにいつの間にかトンネルを抜け出て明るい光の中に立っていた。そしてそこには予想もしなかった素晴らしい景色が広がり、私を暖かく迎えてくれる世界が待っていたのだ。あの暗いトンネルの中で諦めてしまわずに、トボトボとした足取りであっても毎日を一生懸命誠実に生きて来た自分を愛しく思い、ほめてやりたかった。
全ては考え方一つ、人生の舵取りは自分でしているのだからポジティブに生きるかネガティブに生きるかで、見かけはどうであれ自分の世界は全く違うものになってしまう。中にはいつも人を非難し、思い通りにならない相手を責め、悪いことは全て人のせいにして幸福を避けて通ってしまう人たちもいるけれど、そういう人はそういう人生が好きなのだろう。そういう世界が居心地の良い人はそれを選んでいるのだからそれはそれでいいのだ。他人も自分もありのままを受け入れる、というのもニューエイジの考え方の一つだから。
今までの社会は人との比較、競争から常に上昇志向で走って来たように思う。勝つか負けるか、損か得かが価値判断の基準だから、少しでも人より上に立ち、高い評価を受ける人間になること、つまり「出世」をすることが人生の目的であり幸福への近道とばかり脇目もふらず走って来た。それについて行けない者は容赦なく切り捨てられ、弱者は軽んじられる。差別と偏見の世界だ。
しかしバブルがはじけ、心の時代と言われる21世紀にはその考え方が通用しなくなり、価値観の転換が起きている。今はその大きな変わり目の時。新しい時代へ移行する産みの苦しみの時なのかもしれない。以前には考えられなかったような病気や犯罪が起きるのも不思議はない。
新しい価値観の元に生き始めた人たちが安定した職を捨て、収入は減っても心の喜びと豊かさを求めて不安定な仕事についたり、自分で始めたりする現象にオールドエイジの人たちは眉をひそめる。他人の選択を尊重出来ず、ただの気まぐれ、わがままとしか受け取らない。特に自分の子どもがそのような生き方を選び「自分らしく」生き始めるのを「自分勝手」ととらえ親不孝だと嘆く人がいるが、本当にそうだろうか。子どもを私物化し、自分の思い通りにコントロールしようとしていないか、子どもの選択権を奪っていないか、自分の胸に手を当ててじっくり考えてみる必要がある。
真面目で正しく生きている人ほど人生とは辛く苦しいもので楽しむものではない、と思っているから楽しむことに躊躇があり自責の念でストップがかかる。人が楽しんでいるのを喜べず批判する。ホンネは出さずタテマエで生きている。その結果一つも間違ったことはしていないのになぜか毎日がイキイキして来ない。不平や不満が顔を出す。毎日が面白くない。ワクワクなんて感情はとうの昔に忘れている。
それは自分よりも世間の常識、既成概念のほうを大事にしているからではないだろうか。
一方そこからすでに抜け出したニューエイジの人たちはどうだろう。等身大の自分を自然体で生き、人の評価や世間体は気にしない。自分で自分を認め愛しているから他人にそれを求めない。自分にウソをつかずホンネで生きているからいつでもリラックスしている。他人の選択を尊重しているから人をコントロールしようとは思わないし、自分もコントロールされない。他と自分を分けないのでその間にすき間がなく一体感を感じている。だから誰とでも仲良くなれ、他を批判しない。全ては善きことのために起きていると知り、何事も常に「愛」を以って行なえば必ず宇宙がサポートしてくれることを信じているから不安も心配もなく、恐怖からも解放されている。先ず自分が満たされ平和になることが家族や周りの人々を平和にし、それが世界平和につながることを知っている。
私は間もなく70歳になるがとても元気。それは余計なことにエネルギーを使わないからだと思う。
昔は人からどう思われているか、こうは思われたくない、良い人だと思われたいというのが強く世間体もけっこう気にするほうだった。でもある時気がついたのだ。世間の目っていうのは実は自分が作っているんだってことに。それに意識を合わせ、気にしているとソイツはどんどん膨れ上がって巨大なモンスターになり押しつぶされそうになるが、いったん気にしなくなるとシューッとしぼんで消えてしまう実体のないものだってことが分かった。なあーんだ、つまらない、そんなものに大半のエネルギーを使ってたと気がついたらバカバカしくなってしまった。そうしたら雲の上にスッと頭が抜け出て下界のことはいっさい気にならなくなった。
自分を飾る必要がないから自分のために使うエネルギーがたっぷりとある。誰に対してもオープンだし、相手によっていちいち態度を変える必要もないのでとてもラクチン。余計なエネルギーがいらないからパワフルになって当然。毎日けっこう忙しく人からは大変そうに見えるらしいが、自分の好きなことや得意分野のことしかやっていないのでちっとも疲れないし苦にもならない。
というわけで、私はいつの間にかニューエイジ的な生き方にシフトしてしまったのだが、それを人に押し付けるつもりはないし、是非にとすすめるほど親切でもない。人それぞれの価値観で生きればいいのだからオールドエイジを選ぼうとニューエイジを選ぼうと全てその人しだい。好きな生き方をしてその人なりの人生を楽しめばいいのだから。