エッセイ(2003年1月26日)
Nao-sanのひとりごと




私が精神世界に興味を持つようになったのは今から25年前、ある一冊の本がきっかけだった。私の母は自分でも幽霊を見たことがあるそうで、心霊現象やオカルト的なことに興味があってよくそういう話をしていたけれど私はあまり取り合わなかった。その頃ずっと病気がちだった父が亡くなり、それがたまたま仮住まいだった私の家の近くだったことから近所の葬儀屋さんを頼むことになって、近くのお寺からお坊さんが見えた。お通夜の読経が終った後、父の先祖も愛知県のお寺という話になり、そのお坊さんが興味を持っていろいろと聞いて来るのに母が答えていて、そのお寺が三河田原の西円寺だと言ったらそのお坊さんがびっくり仰天。「うちの先代も西円寺で生まれた本多さんです!」と言う。そう、私の旧姓は本多で大昔は代々徳川家の家来だったそうな。かの有名な本多平八郎忠勝の叔父さんという人が僧侶になり、関が原の戦いで亡くなった人々を弔うために田原城主から拝領した土地にお寺を建てたのが発祥だ。そして父の祖父、つまり私の曽祖父まで代々ずっと西円寺の住職だった。(私の祖父は僧侶にならず違う職業についたためその後は縁が切れている)まさか東京の郊外の仮住まい先で亡くなるとは思っていなかったであろう父の葬式に、近所というだけでその存在すら知らなかった小さなお寺から来てくれたお坊さんが縁のある人だなんて、こんな偶然があるだろうか。あとで分かったのだがその先代という方は父の又従兄弟にあたる人だった。
父の葬式の半年後、母と私は初めて親子二人だけの旅行をした。父の死で浮上した私のルーツを訪ねる旅である。そしてその出発の日が私と夫が別居をした第一日目というのも象徴的だった。
西円寺で初めて曽祖父の墓にお線香をあげ、次に訪ねた掛川の広楽寺で曾祖母の墓参りをし、私の大叔母が嫁いだ飯田市の善照寺も訪ねた。そしてその頃「又こんな本読んでるの?ってバカにするかも知れないけど読んで見て」と母に渡されたのが丹波哲郎さんの最初の本「死後の世界」だった。
人間は肉体だけの存在ではなく永遠に不滅の魂というものが本質で、たとえ肉体が滅びても魂はまた生まれ変わって来るというチベットの「死者の書」をもとにして書かれたその本の内容は不思議に何の抵抗もなく私の心に沁み入り、私の精神世界への旅の入り口となった。そしてその直後、離婚後の生活を支えるため秘書の仕事をすることになるのだが、その私の雇い主の所には高橋信次氏の著書がズラリと並んでいた。そこのお宅には高橋氏の直弟子の女性も出入りしていて自然な成り行きで私は精神世界へと導かれて行った。そしてその頃出会う人出会う本全てが私の師となり、久しぶりに会う友達と話すと同じ本を読んでいたりして喜んだこともあった。
社会的には丁度バブルがはじけて人々の目が物質から精神的なものへと向けられた時期だったのかもしれないが、山川紘矢・亜希子夫妻が「アウト・オン・ア・リム」を始め沢山の良書を世に送り出す翻訳家としてのお仕事を始められた頃とも重なっている。ご夫妻が東大卒であることや紘矢氏がエリート官僚出身ということが一般社会の人々にとっては安心感となって、お二人が翻訳したものは広く読まれるようになり社会への貢献度は計り知れないものがある。勿論私達はお二人の肩書きよりもそのお人柄、文章力、原書の選定が素晴らしいということをよく知っているから読むのだけれど。
「アウト・オン・ア・リム」の著者シャーリー・マクレーンは私と同い年。自分の恋愛を縦軸にしだいにスピリチュアルな世界に導かれて行く話が自伝的に書かれているが、この本を読んでいた頃私も苦しい恋愛をしていた。40代の終わり頃のことである。しかしある日この本の中の一つのフレーズにハッと目を覚まさせられた。「全ての現実は自分が作っている」。そうなんだ。私をこんなにも苦しめているのは私自身の嫉妬心であり独占欲なのだ、ということに気がついたのである。人間はきっかけを与えるだけ。嫉妬心や独占欲があるのは当たり前と人を恨んでいる限り苦しみは消えない。その時から私は私の心と正面から向き合いそれと闘った。そしていつの間にか以前とは全く違う次元にいる自分を発見したのである。そしてその後急速に人生が変って行く。驚くようなシンクロが次々に起き、直感が冴え、その直感を実行する度に思いがけない道が開け、必要なお金、情報、人、モノがベストタイミングで必要なだけ与えられるようになった。自分を愛し、信じ、宇宙への信頼と感謝で満たされるようになるとますます苦労がなくなり、いつの間にか至福感でいっぱいの毎日となった。病気とも全く縁がない。価値観や考え方を変えるだけで人生は全く違うものになることを、これまで沢山の試練に会って来た私だからこそ身を持って証明出来るのではないかと思うので、次はそれを具体的に書いてみたいと思う。