エッセイ(2005年2月18日)
Nao-sanのひとりごと

 私は昔から映画が大好きなのでテレビも好きだ。でも最近はお手軽なお笑い番組バラエティーが多く、ドラマと言えば○○サスペンスとか○○殺人事件などというのや、内容の薄っぺらなものが多く昔のように大人の鑑賞に堪えるものや毎週続けて見る気を起こさせるようなものがほとんどなくてつまらない。明らかにディレクターたちが世代交代してマンガで育った人たちが番組制作の指揮を取るようになったからだろう。
  最近韓流ドラマが大人気なのでちょっと見てみたけれど、演出のほころびが目に付いてどうしても続けて見る気になれなかった。テレビドラマは映画以上に緻密な演出でないと不自然さが気になってしまう。たとえばよくあるシーンが、バスに乗った恋人をバス停で見送る彼女が互いの目をじっと見つめ合いながら長々と話し始め、その間バスは発車せずじーっと待っているなんてシーン。見ているこちらのほうがハラハラしてしまう。又、息子が婚約者を連れて来るというので家の中で今か今かと待ち受けている両親の所へ二人が車でやってくる。車から降りてドアをバタンと閉めてから何やら言い合いを始めなかなか家に入らない。ようやくドアを開けると両親が飛び出して来る。こんな時車のドアの音で先ず飛び出して来るほうが自然だ。
 又最近見た映画「北の零年」でも不自然なシーンがあった。夜中に「あけてくだい!」と戸を激しくドンドンと叩く音に吉永小百合さんは戸のつっかい棒を優雅にはずして脇においてから戸を開ける。浮気がバレた女が刀を手にした夫に追いかけられて来たのだ。小百合さんは彼女を家の中へは入れるが戸は閉めない。外は雪が降りしきり寒いはず。しかも抜き身を手にした夫が立っているのだ。ピシャッと閉めた戸を夫が再び開けるほうが凄みも出るのに。ほかにも何箇所か不自然な所があってせっかくの大作なのに30点は減点。
 
 だからというわけでもないが、見ごたえのあるドラマがあまりないのでドキュメンタリーを見ることが多い。そして最近立て続けに2本秀作を観た。一つはウインドサーフィンで結ばれた夫婦が4人の子に恵まれグアムに豪邸を構えて幸せの絶頂と思われた時夫がガンに倒れる。余命数ヶ月の宣告を受けるが彼はくじけない。苦しい手術や治療に耐えながら常に妻子を思いやり、妻もまた一人で子育てをしながら夫へのいたわりを忘れない。やがて小康を得た時、一家はキャンピングカーを借りて思い出の海岸へサーフィンをしに行く。そしてハワイへ移住。医者の言った余命を半年以上過ぎた今も彼はハワイの地で静養中とのこと。病床で綴った小説「天国で君に逢えたら」という本も出版されているそうだ。(新潮社のサイトで彼の日常を読むことが出来る)

 この主人公の口から時折漏れる言葉がすごい。「人間は肉体は死ぬけど魂は死なないんだよ」「天国はきっといい所だと思うからそこへ行くのは何でもないけど、僕だけ先いい所へ行っちゃうのは家族に申し訳なくてね」やはり波や風と親しんで来た人は分かっているんだなあ、と感心する。彼が愛する家族と少しでも長く一緒に過ごせるよう祈らないではいられない。
 そしてもう一本のドキュメンタリーはある介護福祉士の日常を追ったもの。彼は昔は筋金入りのヤンキー。若い頃の写真は頭に剃りを入れ鋭い目つきにガクランのバリバリだ。それが今は柔和な笑みを浮かべお年寄りに大人気の福祉士さんに大変身。絶対に風呂に入ろうとしないおじいさんも彼の笑顔の説得についに服を脱ぎ、夜中じゅう徘徊して寝ようとしない人には添い寝をして落ち着かせ、むっつりしたまま決して笑おうとしない認知症の男性も彼の奇抜な寸劇に大笑いをするというような感動的なシーンが続く。自分の気持が相手に通じた時の喜びは何にも代えがたいと語る彼の顔は輝いていた。
 この二つのドキュメンタリーに共通のものは「愛」。家族への、そしてお世話をするお年寄りへの無限の愛だ。混じり気のない純粋な愛ほど人を感動させるものはない。そしてそれに生きる時人は最も輝き、幸せを感じることが出来ることを改めて教えてくれる秀作だった。