エッセイ(2005年2月22日)
Nao-sanのひとりごと

 朝2階で洗濯物を干していたら突然亡くなった両親の顔が脳裏に浮かび、その瞬間胸の中の水がいっぱい入った風船がバーン!と破裂して水が噴き出すように、もの凄い勢いで感謝の念が湧き上がって来た。同時に涙がこみ上げて来て止まらない。階段を下りて階下の仏壇の上の壁に飾ってある両親の遺影を眺めると思わず言葉が声になって出て来た。
 「お父さん、お母さん、ありがとう。私は今大好きな浅間山の近くのこの場所で幸福に暮らしています。最初はたった一人だったのに今は大勢の人たちに愛されて、好きなことをしながら毎日を過ごすことが出来、人様の前でお話をすることまで出来るようになりました。それは全てお父さんとお母さんが私の基礎を作ってくれたからだと思います。親の考え方や価値観は家庭内での会話や他人への行動を通して子どもにそのまま伝わりますが、私はお二人からとても良いものを頂いたと思っています。当時うちの経済状態はとても苦しかったはずなのに、中・高・短大と私立にも行かせてくれてほんとにありがとうございました。感受性の強い10代を女子学院で素晴らしい教育を受けられたのもそのお陰です。それが明らかに今の私の土台となっています。それを今の私に育てて来たのは私自身だという自負はありますが、それも基礎あってのことです。ほんとにありがとう。
今日私は心の底からお父さんとお母さんの娘に生まれてよかったと思いました。私を生んでくれてありがとう。私を育ててくれてありがとう。ありがとう、ありがとう。

 お二人はそちらの世で会えましたか? いつか私もそちらへ行きますから、その時はきっと二人で迎えに来てくださいね」

 誰もいないのをいいことに、写真に向かって語りかけながら思い切り泣いた。
 なぜこんなことが突然起きたのだろう。少し振り返ってみると洗濯物を小物干しに止めながら、ふと、4日後に迫っている地元の社会福祉協議会での講演について考えていた。私のエッセイに共感してくれている次長さんからの依頼で全職員と介護関係者、医療関係者を対象に「人との関わりの中で自分を知るということ」というタイトルで話をすることになっているのだが、全くの無名で何の肩書きもない私がそういう専門家たちの前で話をさせてもらえるなんてありがたいことだなあ・・・
と、ここまで思った時に突然両親の顔・・・そう、確かに首から上の顔だけが二つ脳裏に浮かんだのだ。見えたわけではない。目鼻も分からない。でも私にはそれが両親だとハッキリ分かった。家の中のいちばん高い所で上を向いていたのは確かだけれど、それが関係あるかどうかは怪しい
 私は実は父が大嫌いだった。今でいうアルコール依存症で酒乱の気味もあり、事業に失敗した40代半ばからは仕事もせずお酒に溺れ、人を不愉快にさせることばかり言って母にも暴力的だった父を好きにはなれなかった。ただシラフの時の父は実に礼儀正しい知的な紳士なので、どこかで一目おいていたことは確かだ。
 母は家庭の事情で女学校にも行けなかった人だが、読書好き、積極的な行動派で、実に頭のいいしっかりした人だった。父が働かなくなってからは小さなお菓子屋を始め、それをパンやケーキを製造販売するまでに広げ、隠れていた商才を存分に発揮していた。その店を私も学生時代よく手伝ったものだ。今のような暖房のない冬、火鉢一つで店番をしながら英語の単語を暗記したことなどよく覚えている。自転車で築地の問屋街へ仕入れに行ったこともある。私にはきょうだいがいないから母にとっては大きな戦力だったのだ。父への愚痴や姑への恨みごとの聞き役も長いこと続けていた。
 そんなしっかり者の母も、80歳で骨折し手術をしてからは心臓が悪くなり、2年後には亡くなった。そしてこの2年間それまで母を支えて来た理性が崩れてしまったのか、被害妄想も強くなって私を信用しなくなり、考えられないような言動に何度ショックを受けたか分からない。激動の時代を生き抜いて来たあの世代に共通のものかも知れないが、お金への執着も強く、負けず嫌いの激しい性格がむき出しになって、それまでの母に抱いていたイメージが次々壊されていくのが悲しかった。
 母が亡くなったのは東京の中野にあった我が家が空襲で跡形もなく消えた丁度50年後の同じ日だった。一人っ子の私には母が遺してくれた貸し店があり、お陰でここで赤字続きの喫茶店などのんきにしていられるわけで、それに対して勿論感謝を忘れたことはない。ちなみに「カフェフルール」のフルールとはフランス語で「花」のこと。母の名前である。
 父が亡くなって27年。さすがにもう恨みつらみはないし、博学の人だったから今生きていてくれたら良い話し相手になったのにという思いはあるが、感謝の念までには至らなかった。母には感謝しつつもまだ亡くなる前の辛い思い出が拭い切れず、墓参りもどこか義務的なものがあった。
 しかし今回の出来事はその全てをあの大津波のように一気に押し流してしまった。私の中に一大変容が起きたのだ。人間の意識は突然シフトする。いくらでも変われるのだ。いつでも何歳になっても。そのとたん自分を縛っていた頑なな思いのタガがバーン!と切れて吹っ飛んでそれだけ自由になる。そして前より拡大した意識の中にいる自分を発見するのだ。その時新たな自由と愛と喜びを体験し、その新しいエネルギーが身体中を駆けめぐる。これから何回こういうことが起きるか分からないが、願わくは死ぬまでにもう何回か起きてほしいものだと思う。
  改めて天国にいる釈直道信士・本多剛夫さん、釈尼妙華信女・本多 花さんに心からの感謝を捧げます。合掌