エッセイ
Nao-sanのひとりごと

   



人生でとてもとても大切なことは、とてもとてもシンプルなこと。人はそれに気づくまでに遠い遠いまわり道をする。山坂越えて谷越えて何年もかかってようやく気づく。気づかないままに人生を終えれば、再び同じ学びをするために振り出しに戻ってやり直し。人はいかに長い時間をかけてムダなことに心を砕きムダなことにエネルギーを注ぐのか。気づいた瞬間から世界はガラリと変わる。同じ空間にいるのに別次元。広くて新しい世界が目の前に広がる。まわりの環境は同じなのに何かが変わる。すっかり変わる。悩みもなくなる。不安や心配も消える。あるのは静けさと平安とこみ上げる至福感、あふれる感謝。必要なものは全部やって来る。望んだことは全部現実のものとなる。それも絶妙のタイミングで。常に平和と幸福に包まれ、心も身体も健やかになる。

 

人には誰でも欠点があるよね。自分でもイヤだなあと思うクセや性格がある。直したいと思ってもそう簡単には直らない。そこで自己嫌悪になり自分を責めて落ち込む。でも表だけのコイン裏だけのコインはないようにその両方があって初めて完全なコイン。人も同じ。だからもう自分の欠点やダメな所ばかりに焦点を当てて落ち込むのはやめよう。自分のイヤな所が目に付いたら少し遠くから、少し高い所からそれを眺めて、「相変わらずだねエ」とフフンと鼻先で笑い飛ばそう。そしてそれもひっくるめてまるごと自分なのだと認めよう。そんな自分をいとしんで可愛がってあげよう。一生のつきあいだもの、イヤな所も道連れだよ、よろしくね。私ってこれ以上でもこれ以下でもない、これが全て、私そのもの、と思えた瞬間あなたはあなた自身が大好きになる。こんないとしい存在はいない、と思えちゃう。すると不思議なことにあんなに気になっていた自分の欠点がゼーンゼン気にならなくなってしまう。そして気にならなくなったとたんあんなに巨大だった欠点はスーッと消えて小さな小さな点になってしまう。そんなものはあったってただのホクロみたいなもの。と思った瞬間アーラ不思議!他人のこともあまり気にならなくなっちゃった。というより、むしろ愛に近い感情。ヤバイぞと思うけど自然に表情が柔らかくなる。するとアララ、相手も笑顔になっている。自分をまるごと認めて愛しただけで他人も認め愛せるようになる。人に愛を求めなくても自給自足が出来るようになると、人からの愛も沢山流れて来るようになる。これって宇宙の法則かもね。

 

いくら何千年もの歴史があるからってなぜ宗教、宗派、民族、国家、伝統などに拘泥するのだろう。なぜそんな狭い所に閉じこもって「我こそ最善」と思い込んでいるのだろう。宇宙の中のちっぽけな塵みたいな地球の上でいがみあっているなんてまるでコッケイ。全ての枠が吹っ飛んでみんなごちゃまぜになって、全ての民族が混血になって、宗教も文化も全部混じり合って初めてこの地球上に平和が訪れるのだろう。愛国心なんていらない。そんなものより愛地球心があればいい。みんな地球国の地球人というだけでいいじゃないか。

 

 


今人とつきあうのが苦手という人が増えているけれど、あらゆる人間関係において最大の障害となるものは自分の感情だと思う。その感情を引き起こす相手は単にきっかけに過ぎない。憎悪、嫉妬、怒り、恨み、口惜しさ・・・・・これらの「思い」を認め、受け入れて癒すこと。するとその感情はパソコンの画面のグレイアウトのようになって、文字は見えるけれど機能はしない。完全に削除は無理でももうエネルギーとしては消えてしまう。そしてハッピーになれるのは誰あろうあなた自身。そんなエネルギーいつまでも取っとくことないよ。
人生の目的って何だろう。よく取り上げられるテーマだけどあまりハッキリ言う人がいない。有名な作家の先生なんか「ない」とおっしゃる。ほんとかな。ないと思う人にはないのかもね。私はあると思うな。私流の言い方をするなら、「意識の階段を昇ること」。以前マンションの5階に住んでたことがあるけど、真下の一階の家に行ってみてびっくり。同じ土地の上に建ってるのに窓から見える景色が全然違う。うちからは向かい側の建物の向こうにあるビルや遠くの山まで見えるのに、1階からだと向かいの建物しか見えない。遠くのビルも山もないと思ってる。上へ来てごらんよ見えるから、と言うと、ほんと?と言って5階まで来て、ほんとだア、山があるんだア!と感激する人とはつき合ってて楽しい。そんなものあるわけないでしょ、あるのはこの筋向かいの建物だけよ、と階段を昇ってもみない人。もしあったとしても別に見たくもないし、今見えてるこの景色だけで十分、とおみこしをあげない人も多い。5階だけじゃない。もし10階も20階も50階もあったらもっともっと違う景色が見えるに違いない。下では見えなかったものがきっともっと見えてくる。視野が広がれば意識の枠も広がり、謙虚になると同時に傲慢さが影をひそめる。今まで受け入れられなかったことが受け入れられるようになり、誰にでも優しくなれる。心の中の平和の面積がどんどん広がって、わけもなく幸せという思いに満たされる。それにつれてわけもなく感謝の念が湧き上がりあふれてくる。
今の人生を生きている間にたとえ一段でも意識の階段を昇ることが出来たら、この世に生まれて来た甲斐もあろうというもの。と、私はそんなふうに考えているのだけれど。