エッセイ(2008年2月)

   
 

 以前3人の日本人がイラクでアルカイダに捕らえられ危険な状況になった時「自己責任」という言葉が毎日のようにメディアを飛び交った。人は自分の言動に責任を持たねばならないのは当然のことだが、それが予想を越えて生命の危険にさらされた時、その責任を問うよりも人間として何とかそれを助けたいという気持になるのもまた当然のこと。その3人の方のその後のことは分からないが、何人もの人が生命を奪われている中で九死に一生を得て帰国出来たのは彼らの行動の動機が「愛」であったからかもしれない。
そのことへの認識と感謝を忘れずに今後の人生にこの大きな経験を生かして頂きたいと思う。

  しかし本当の意味での「自己責任」とは一人一人がこの世に生まれて来たことの意味を探求し、その目的を果たすということではないだろうか。何億分の一かの確立でこの世に誕生したからにはそこには偶然ではない、なんらかの意志や意味があるのだと思う。それを知り、その責任を果たして行くのが人生だ。自分は自分の人生の創造主との自覚を持って一日一日を生きて行きたい。全ての現実は自分が創っているのだから何が起きても人のせいにすることは出来ない。自分が良い磁石であれば良いことが、そうでなければ良くないこと、いやな人が引き寄せられて来る。全ては自分次第、自分と同調するものが寄って来るのだ。

  それには先ず自分を知ることから始めよう。世間の目に合わせたり、既成の枠に自分をはめ込んで役割や立場だけを果たすことに専念したりしていたのでは外側だけのカルメ焼きのような空っぽ人間になってしまう。ちゃんと身の詰まった一人前の人間になるには、表面的なエゴの部分だけではなく、自分の奥深くの「本当の自分」の声に耳を済ませて、その部分が何をしたがっているかに気づくことだ。

  そのためには流れに乗ること。今目の前に差し出されたことをやってみる、巡って来たチャンスを掴む、そして毎日を正直に誠実に生きること。世の中に偶然はなく全て必然であることを知って苦労も引き受ける。そして不幸がやって来たらそこから逃げずガッチリ四つに組む。雨は必ずやみ、夜は必ず朝になることを信じて絶望しない。どうしても耐えられない時はその場から逃げる。その時は流れが変わる時だから、今度はその新しい流れに乗ればいい。

  自分の本心と向き合いながら常に希望を持って前向きに進んで行けばいつかきっと自分のすべきことが分かって来る。それが分かった時人生はスムーズに流れ始め、過去の苦労が全て役に立ち、自分の人生の責任を果たしているという実感と喜びが湧き上がって来る。それでこそこの世に生まれて来た甲斐があるというものではないだろうか。