これまでの人生を振り返ってみると、その節目ごとに必ずどなたかとのご縁があることに気づく。そのご縁で生かされて今日があるのだと思うとほんとうにありがたいと感謝の気持ちでいっぱいになる。

私自身もこれまでに沢山のご縁をつないで来たと思うし、それらが無数にからみあって網の目のように広がり、思いもかけない人同士がつながっていたりする発見は驚きとともに無上の喜びでもある。
この世で生きている以上、山の中にひとりでこもって仙人のような生活でもしない限り毎日人との関わりなしに生きて行くことは出来ない。人間はその字のごとく人と人の間で生きているのだ。
それを煩わしいと思う人もいるだろうが、私はむしろうれしく感謝することのほうが多い。そして私を介してつながった人たちがそれを喜び、人生を豊かにして行く姿を見るのはほんとうに嬉しいものだ。中には、紹介者である自分を通り越して親密になる人たちを許せず不機嫌になる人も見受けられるが、紹介者が誰だったか忘れられるほどであれば、その紹介は大成功したと喜ぶべきで、自分の存在をいつまでも介在させる必要はないのだ。

また、何かちょっと気に入らないことがあると、それまでどれだけ長く親密であってもバッサリとその縁を切ってしまう人もいる。そこにはたいていその人のプライドやら嫉妬心、猜疑心、心の狭さなどがあるのだが、ご本人はそれに気づいていない。
私自身は一度ご縁の出来た方とは多少のことがあってもその縁を大切にして行くほうなので、何十年というお付き合いが多いのだが、中には「波動の法則」でお互いの波動が変わることによりいつの間にか疎遠になって行くケースもある。それはそれで自然の成り行きなのでしかたのないこと。去って行く人があっても寂しいとは思わない。「来る者拒まず、去る者は追わず」の心境だ。

今の世の中プライバシーだの個人情報保護法など、どんどん自己防衛が強くなり息苦しくなって来ている。人を信じず、自分を守ろう守ろうとすればするほどますます人が怖くなって良き人間関係が築けなくなっているのではないだろうか。

それぞれが栗のイガのような自分の殻の中に閉じこもって人に真の姿を見せない。他人の目を気にして、見られてもいい自分しか出さないから、自分でもどれが本当の自分か分からなくなってしまう。だから真の友達もできないので常に寂しい。そういう人には同じような人しか寄って来ないから、いくら人数がいてもそれは栗のイガが集まっているだけだから寂しさは埋まらないはずだ。

豊かな人間関係を作りたいなら自らがそのイガから出て行くことだ。
自分の弱さもみっともなさも、恥ずかしいところもさらけだしてありのままの自分を見せることで、相手も安心して自分をさらけ出すことが出来る。そしてそういう自分を認めることによって人は強くなっていき、本当の信頼関係が築いて行ける。それはまわりの人たちにも影響を与えるはずだ。何事も待っていては始まらない。スタートはまず自分からだ。イガの中のつやつやした栗色の自分のほうがどれだけ美しいかわからない。
そうして出来た人とのご縁は大切にしよう。何かの行き違いが起きたら誠実に話し合うことで解決しよう。自分の思いを正直に話せばきっと理解し合えるはす。安易に切ってしまうのはもったいない。たとえ疎遠になってもいつかまた戻ることがあるかもしれない。追いかける必要もない代り、自分の世界を自ら狭める必要もない。
たとえ苦手な人であっても、少しでも接点があるならそこの部分で付き合えばいい。
但しウソや体裁や心にもないお世辞などはよけいなもの。真の人間関係には不要なものだ。

忠告はやんわりと愛をこめて(それでも怒ってしまう人もいるけど)、褒め言葉はテレずに惜しみなく、媚びや迎合は心ある人なら不愉快に思うから要注意。いつもご縁に対する感謝だけは忘れないでいよう。