1980年代頃まだスピリチュアルなどという言葉が使われるi以前、宗教とは違う心の世界を指す言葉として「精神世界」とか「ニューエイジ」などが使われていた頃、よく「心が喜ぶことをしよう」ということが言われていた。

 当時としては新鮮な言葉で、多くの人が無意識に社会の常識や習慣に従っていた自分の人生を見直し生き方を変えるきっかけを作ったことと思う。その頃から大きな書店には「精神世界」の本のコーナーが出来始め、セミナーめぐりをする人が増え、内外の講師のワークショップや講演会は満員となった。

  その結果頭でっかちになって言葉や理論は達者でも足が浮き上がって日常生活がおろそかになった人たち(というより女性たち)が多くなったのではないだろうか。
しかしその後ようやく身体やこの3次元の世界も大事だということに気付き始め、いわゆるボディーとソウルとスピリットの統合ということが言われるようになった。従って今はおそらく精神だけを重視するような考え方はなくなって来ていると思う。

言うまでもなく心と身体は連動しており、互いに影響を与え合っている。「病は気から」という言葉も「身体は全てを知っている」という言葉も真実だ。どちらかが緊張すれば一方も緊張し、リラックスも同様。感情から言えば恐怖や不安は緊張を呼び、笑いや楽しさはリラックスを生む。

 だから今では「心の喜ぶこと」だけを言う人は少なくなり、「身体が喜ぶこと」も大切だと思っている人が増えているはずだ。両方が揃わなければバランスが崩れるのに、これまでは心のほうにばかりフォーカスしすぎて来たように思う。

 人によって満足することはそれぞれだろうから、いつも己を振り返って心も身体も満足して喜んでいる状態にしておけば人生は限りなく楽しくなり、人にはやさしく、健康でもいられると思う。

  エゴではない「本当の自分」がしたいことを人の目や評価や世間の常識など気にせずにする時、それは自分だけでなくまわりにも喜びをふりまくことになる。そして身体の持つ五感に正直に「心地よいこと」をすることでリラックスし、心も喜ぶことになる。

 「美味しい」と思えるものは必ずしも贅沢なものとは限らない。「美しい」と感じられることも人によって違うから自分の耳や目がそう感じるものを楽しめばいい。

躊躇なく人をほめることで相手の耳を喜ばせ、その笑顔が互いを豊かにする。好きな香りも人それぞれだろうし、身体に触れたり触れられたりも自分の心地よさを基準にすればいい。温泉やマッサージも至福の時を与えてくれるし、ハグや握手、そして愛するもの同志の性的なふれあい、これも至上の幸せにちがいない。

 世間的に落ち度のない、常識にかなった、道徳的で正しい生き方をしているマジメな人ほど緊張感ががあり、一緒にいてもリラックスできず話題も乏しくて面白くない。

思い当たる人はいいかげんに肩の力を抜いて自分の心や身体の要求に正直に応じてあげよう。
人は黙っていても知らないうちに緊張しているものだから、意識してリラックスする場を心と身体に与えてあげよう。
あなたからリラックスのオーラが放たれていれば、それに触れた人もリラックスし、ひいてはそれが社会貢献にもなるのだから。