先日衆議院で脳死に関する改正法案四つのうちA案が
可決された。もしかしたら参議院で否決になるかもと思ったらこちらもろくな論議もされぬままあっさり通過してしまった。勿論反対票を入れた方もあったに違いないが、多数の国会議員のセンセイ方が霊的なことに無知ということがよくわかった。

 これで今後は脳死が人の死となり、臓器移植の年齢制限も撤廃されたのだ。 臓器移植しか助かる方法のない子どもを持つ親にとっては確かに朗報かもしれないが、本当に法律でこう決めてしまっていいのだろうか。 私は「脳死が死か?」という議論以前に、たとえドナーの心肺が停止したとしても、臓器移植そのものに賛成ではない。
人間が肉体だけの存在なら、自動車のように部品さえ取り替えればいいのかもしれないが、全身の細胞の中にエーテルもアストラルも存在しているホリスティックな存在として考える時、そんな単純なものではないと思うからだ。

30分間心肺停止状態で蘇生し、その間の臨死体験で得た知識をこの世で役立てようとしている木内鶴彦さんがドナー登録していなくて本当によかったと思う。世界では他に48時間後に生き返った人の例もあるくらいだ。

 臓器移植を受けてから性格が変わったり食べ物の嗜好が変わったという実例はいくらでもある。フラクタルという考え方からすればどの臓器にも、またそれを構成している一つ一つの細胞にもそれが所属していた人間のDNA情報も波動もそのまま残っているはず。つまり自分の身体に他人が入って来るわけで、臓器移植後統合失調症になった人も多いと聞く。
また拒絶反応を防ぐ多量の薬の副作用で苦しむ人もいるだろうに、そのようなマイナス要因は全く報道されない。

いちばん確実にイキのいい心臓を提供出来るのは死刑囚だと思うけれど、ドナーが誰かという秘密が守られたとしても、その心臓にどんなDNAや波動が残っているかは誰にもわからないのだ。

もっと科学が進んで、始まったばかりの万能細胞と言われるips細胞の技術が軌道にのって、誰にでも適合する「部品」が工場で大量生産出来る時代になったらどうかわからないけれど、今の段階では死ぬ人を待って、その人から臓器を取り出さなければならない。そこから新たに多くの問題が派生するような気がするのだ。

すでに虐待死した子どもを見分けられるか、という疑問が発生しているし、貧しい国の親たちがヤミの業者に子どもを売り渡したり、それを目的に子どもを産んだりということだって可能性として考えられる。
産んですぐ殺してしまったり、捨てたりする親に業者がつけいらないとも限らないではないか。

移植を受ける側としては、わが子を助けたい一心で、どんな経緯でその臓器が提供されたかにはあまり関心が向かないかも知れない。 その親心はよくわかるけれど、もしそれが早く霊界へ戻りたいという魂の願いだったり、それがカルマの解消のためだったりしたら、その子の魂に対してとんだ邪魔をすることになってしまう。

 移植を受けてもいずれは死ぬ時が必ず来るのだから、もっと「死」や「死後」のこと、生まれ変わりのメカニズムを真剣に研究し、一般的にしてほしいと思う。外国の学者や科学者達は沢山の研究結果を発表し、多くの書籍となって世の中に出回っている。
なぜそれを冗談にしたり、単なる比喩としたり、怪しげなオカルト扱いにしたりするだけで真面目に取り上げようとしないのだろう。 それを一般論として子どもの頃から教育することだけで人の意識や価値観が変わり、世界平和もエコロジーも命の大切さも十分に理解するようになるのではないだろうか。