以前、この社会には並行した線路の上を並んで走る2種類の列車がある、というエッセイを書いたことがあるが、今はそのスピードがどんどん速くなって、線路もしだいに離れて行きはじめているような気がする。
 
昔からの型の古い車両の方の乗客はほとんどが眠りこけていて、隣りの車両に移ろうよ、と揺り動かしてもまったく目を覚まさない。
もう移るには無理なほど線路が離れて来てしまったので起こすのはあきらめ、目を覚ました人たちだけで乗り移るしかない時が来ている。
 
家族や親しい友人と離れ離れになるのは悲しいがしかたがない。
それぞれが居心地のよい場所にいることしかできないのだ。
 
新型車両の方に移った人々の目には車窓からの景色がひときわ輝いて見え、それまで目に映らなかったものが次々に見えて来て車内に歓声があがっている。
前の車両に残してきた家族や友人にこの美しい景色を見せてやりたい、と思うが関心のない人たちにはまるで興味のない景色なのだからしかたがないとあきらめる。
 
どうやら新型車両の人々は日常の中のささやかな出来事の中に喜びや感動を見つけるのが上手らしい。心の目が開くことで感性が豊かになり、以前は気づかなかったことに気づいたり、見えなかったものが見えるようになってくるからだ。
 
同じ出来事に遭遇しても、同じ景色を見ても、そこに美しさや驚きを見つけられなければ喜びも感動も味わうことはできない。
日常の中に小さな喜びを感じられる人はいつも瞳がキラキラと輝き、その喜びや驚きを人に伝えたくなり、それが人の心から心へとさざ波のように広がってゆく。
そして互いに喜びや感動を分かち合う楽しさを知ることで心が豊かになり幸福を感じる瞬間がどんどん増えていけば、日常の中の不都合や身体の不具合などに焦点を当てている時間がなくなるので話題にすらしなくなってしまう。
 
つまりは、自分の目の焦点がどこに合っているか、日常のマイナス面だけか、それともプラス面や楽しいことのほうなのか、たったそれだけで人生の質がまったく違うものになる。
日常生活の中からきらめく宝石を見つけ出すか、それともゴミだけを選び出すか、それはその人の自由。
いったい自分はどんな毎日を送り、どのような人生を送りたいのか、もう一度じっくりと考えてみよう。
 
人生を創るのはその人の思いと行動だけ。人生の質を良いものにするか粗末なものにするか、すべてはその人しだい。
自分の意識と感性を絵の具にして白いキャンバスにどんな絵が描けるだろうか。