最近長いこと所属していたあるグループから離れた。
みんな多分いい人たちに違いない。常識も知性も備えた社会的にはどちらかと言えばハイクラスの部類に入る人たちだと思う。
でも、何だかしっくりと来ないのだ。
品よくにこやかに挨拶するけれど話題は当たり障りのないあまり実のないことばかり。
「謙譲の美徳」という日本古来の文化そのままにへりくだりながら相手に気を使い、ホンネは胸の奥にしまったまま耳障りの良い言葉で会話を交わす。
これは日常一般的に社会で普通に見かける光景なのだが、本当は何を考えているのかよくわからないので、それに合わせていると自分が自分でなくなっていき表情が乏しくなっていくのがわかる。
自分が肉体、感情、精神だけではなく、その奥に「霊的な領域」があることに気付き、そここそが「真実の自分」であることを知ってしまうと、こうした「とりつくろいの世界」にはいたたまれなくなってしまうのだ。
霊的な交流はエネルギーの交換だからそこに言葉は要らず初対面でも通じ合ってしまうので、すぐに暗黙の信頼感のもとにフランクな会話が出来る。
自分を偽る必要もなく、安心して自分をさらけ出せる心地よさを知ってしまうと、このような人工的な世界にはいられなくなってしまうのだ。
 
なんだか居心地が悪い、自分のいる場所ではないと感じ、少しも楽しさが感じられなくなると危険信号だ。
以前ある公立中学の相談員をやっていた時はそう感じながらも責任感だけで続けていたらてきめんに身体に来て、突然目まいを起こして倒れてしまったことがある。
それで懲りたので、そうなる前に離れることにしたのだ。
 
でも普通の社会ではまだまだそれが主流で、私のようなのはきっと異端者と思われているに違いない。
どう思われようと私の心も身体も、古い価値観や常識の世界には完全に合わなくなってしまったのだから仕方がない。体調を崩すのはごめんだ。
でもどうやらこれは私だけのことではなく、まわりにも自分の意に反することをしたり、しようとしたら頭が痛くなったり体調を崩した人が何人かいる。
 
仕事上とか一時的なお付き合いであれば適当な妥協も必要だから、たまにはそれに合わせることがあっても、「私は今一時的に演じている」ということを意識していたい。長く続けていては健康を害するから。
今現在病気になっていたり体調がすぐれないという人がいたら、自分にウソをついていないか、居心地の悪い場所に我慢しているのではないか、ちょっと振り返ってみるといいかもしれない。