人の一生はさまざまな体験に満ちている。毎日が体験の連続と言ってもいい。
楽しい体験もあれば苦しくつらい体験もある。出来れば不幸な体験は避けて通りたいと人は神社へ厄払いに行き、お守りを買い、占いに頼り、ゲンをかつぐ。その結果常に不幸になりたくないという恐怖とそうなったらどうしようという心配をかかえながら生きることになる。私もかつてはその一人だった。しかしその避けて通りたい体験が容赦なくやって来る時があるのだ。逃げたくても逃げられない試練が目の前に立ちはだかる。無我夢中でその試練と戦う。一つ乗り越えると又一つ。誰の助けも借りず一人でそれと戦わなければならない。乗り越えるのには長い長い時間がかかる。
けれど気がつくといつの間にかそれを乗り越え、振り返ると越えて来た険しい山や深い谷が遠くに見え以前よりぐっと強くなった自分を発見する。試練につぶされずに生きて来た自分が無性に愛しく思え、あっぱれマークをつけてやりたくなる。もう今では何でも来いという心境。ドーンと腹がすわってしまった。何だって受け止めてやろうじゃないの。人生は体験するためにあるのだもの。その体験をするためにこの世に生まれて来たのだもの。と、思えるようになってから不思議なことにあまりつらい体験に出会わなくなってしまった。
でも今は一時休憩だけなのかもしれない。
|