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Date:7月 18, 2016

(49)72回ピースボート

私がピースボートという地球を一周する船旅があることを知ったのは65歳の時でした。いわゆる豪華客船というのではなくもっとカジュアルで、乗客も定年退職したような年代からアルバイトをして乗ったという若者までが一緒に運動会を楽しんだりすると聞いて海外旅行大好きな私はぜひとも乗ってみたいと思いました。   とは言え3か月の長旅ともなればかなりの費用もかかることから、まず郵便局の簡易保険に入りました。毎月3万円ほどの掛け金で10年満期。何事もなければ10年後に300万円の満期金が入ります。75歳でまだ元気だったらそのお金で一人部屋に乗ろうと決めました。そしてあっという間に10年が経ちました。その頃はまだ「カフェフルール」を5月から10月まで営業していましたから長く留守に出来るのは冬の時期だけ。そこで申し込んだのが2011年1月から4月までの東回り第72回クルーズでした。

出発の日、横浜港へは読書会のメンバーのほか友人たち10人ほどが見送りに来てくれて、出航を促す景気の良い音楽が流れ、テープが飛び交い、銅鑼が鳴り、いやが上にも興奮を掻き立てるような雰囲気に乗船客も見送りの人たちもすっかりハイテンションになっていました。汽笛の音とともにゆっくりと船が岸壁を離れるといよいよ船旅の始まりです。

最初の寄港地は赤道を越えた南半球のタヒチ。そこまではずっと2週間太平洋の大海原の上でした。タヒチで一晩碇泊した後はまた2週間海の上で再び赤道を越えて着いたのが南米大陸のペルー。そこから北上してコロンビア、トリニダードトバコやパナマ。パナマ運河を越えて地中海に入り、アフリカ大陸の北のはずれモロッコのカサブランカに入港した日が3月11日。そう、あの東日本大震災の日でした。その日に限って6時に鳴る目覚まし時計より早く目が覚めたのが5時46分。まさに地震が起きた日本時間の午後2時46分と同時刻でした。

ツアーバスの中で東北に大きな地震があったとの知らせを受けたまま私たちは1日中のんきに観光を楽しみ、夕方船に戻って大津波があったことを初めて知りました。しかし映像は入ってきませんからそれほどの緊迫感はなかったのです。次の寄港地イタリアのナポリで店員さんから手まねで「大きな地震と津波で大変だったね」と言われてもまだピンと来ていなかったように思います。         その後ギリシャやトルコなどを回ってスエズ運河を抜け、騒乱直後のエジプトでピラミッドを見物、サウジアラビア、インド、マレーシア、フィリピン、シンガポールとまわって4月にまた横浜に戻って来ました。

家に帰って初めてあの津波の映像を見ることになり声も出なかったことを覚えています。節電で駅は薄暗く、いろいろな人から大きな揺れの怖さから計画停電のこと、断水や停電や帰宅困難だった様子などを聞くにつけそれを体験しなかったのはラッキーかもしれないけれど、とても申し訳ないような気持ちにもなりました。