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Date:8月 25, 2016

(51)プロポーズ

船は地中海から大西洋に出て北上し、ポルトガルやベルギー、ドイツ、ロシアと進んでいよいよ北欧三国、フィヨルドから出ると北極圏のアイスランドです。そこではブルーラグーンという巨大な露天風呂に入るツアーを申し込んでいたので、念のためと両手の指にはめていたダイヤとオパールの二つの指輪をはずして部屋に置いていくことにしました。留守中にお掃除係りの人なども入って来ますからちゃんとしまっておかなければと、しまい場所を何回か変えているうちにどこへしまったのかわからなくなり、あらゆる所を探したのですがどこにも見当たりません。もしかしたら留め具のないポシェットに入れておいてどこかで落としてしまったのかも、誰かが拾ってそのままってこともあるかも、と思いすっかり諦めることにしました。

そのことを誰かに話したい、聞いてもらいたいと思いましたが同室の人になどとうてい言えません。Mさんにも言えずもやもやしている時にSさんからバーに誘われました。彼はよくしゃべりよく笑う明るい人なので、私も何となく気安くなって思わずこの指輪の件を話してしまいました。すると彼も私が思っていたことと同じことを言いました。

「失くしたものはそれでいいじゃない。誰かが拾ってトクしたーって思うならそれでもいいじゃないか」

「そうですね。自分の不注意だからしかたありません。もうすっかり諦めたんです」

「私が新しいのを買ってあげるから一緒になろうよ」

えっ!?えっ!?何言ってるんですかあ!と二人で大笑いしました。ほんとに冗談にもほどがある、って。その時はそれで終わったのですが、何だか気になります。冗談だとしたらずいぶん悪い冗談だわ、と思って2日後今度は私が彼をバーに誘いました。

「この間のことですが、あれは冗談ですか?それとも本気なんですか?」と私が言うと「もちろん本気ですよ」と言うではありませんか!

「でもあなた、私の歳も知らないでしょう?」「ええ、私は72ですが」

「私は80なんですよ。あなたより八つも年上なんですよ。それでもいいんですか?」

「ああ、そんなの関係ないでしょう」と顔色一つ変えません。

「へーっ」と私のほうがびっくりしてしまいました。

それまでの彼の話から彼が9年前に離婚していること、九州で会社をやっていたがそれを娘婿に譲ってリタイヤしたので船に乗ったこと、今回が2回目でもう一回また半年後の90回クルーズに申し込んでいることなどを聞いていました。ほかにもいろいろ話してくれた中から私の心に彼に対する信頼と尊敬の念が生まれていたことは事実です。私とは違うアプローチで神仏に対する信仰心もある人だとわかっていたので、とても自然な気持ちでOKしていました。

これまで人生を変えるような大きな決断はいつも誰にも相談せず、自分の直感で即座に決め実行して来たので、まったく迷いはありませんでした。今まで我が家にはいなかったタイプの男性です。理由もなく「大丈夫」と思ったのでした。若い頃のように表面的な「エゴ」の自分ではない「本当の自分」つまり私の魂、私の中の「神」がOKを出したという感じでした。多分彼のほうも同じだったのでしょう。私の魂を見てくれたのだと思います。特に美人でもなく歳もとっている私に目をつけるなんて「お目が高いわ」と実は内心そう思っていました。私みたいな女はそうそういないからです。「後悔はさせないわ」とひそかに心の中で言っていました。

それから数日後、最後の寄港地であるホノルルに着くことになりました。船内ではいつも小さなポシェットを使っていますが、上陸の時には大きめのショルダーバッグを使うので、前の晩必要なものを入れて準備をしました。その時何気なく外側についているポケットのチャックを開けて手を入れたら何か固いものが!

そうです。あったんです、あの指輪が!それまでにも何度か上陸があったので、そこには何度も手を入れているのにまったく触らなかった指輪が二つちゃんとありました。何だか彼にプロポーズさせるために姿を消し、話が決まったとたんに姿を現わしたみたいです。いったいどういうことなんでしょう。エイトスターダイヤモンドですからあり得ることかも知れません。

彼が3回目のクルーズから戻るのは翌年の春なので、その後で私のほうが九州へ行く、と言いましたら、そんな先になるなら一緒に行こう、ハネムーンだから自分が費用を出す、と言ってさっさと手続きをしてしまいました。それが横浜に帰港する前の日のことでした。