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Date:8月 26, 2016

(52)またもや骨折&入院、結婚式、披露パーティー

2015年7月26日、神戸港で降りるSさんとは8月のお盆が過ぎたら九州のお宅を訪ねると約束して横浜で別れました。船を降りると二女が迎えに来てくれていました。彼女は4年前から彼氏と一緒に暮らしていましたが、「11月22日イイフーフの日に結婚式を挙げて入籍することにした」が会ってまず最初に言った言葉でした。いつかそうなってほしいと思っていましたから、それはとても嬉しい報告でした。

「先を越された」と思いましたが、私の件は歩きながらする話でもないので、帰ってからゆっくり報告しようと何も言わずに一緒に久しぶりの我が家へ帰りました。娘の彼氏もやって来たので、親しくしているお隣のA子ちゃんも呼んでお寿司をとりささやかな「ただいま会」を始めました。しばらく娘たちのの結婚話に花が咲いた後、いよいよ私の番です。

おもむろに「報告したいことがあるの」と言ってから、「私ね、船でプロポーズされたの」。エエーツ?!と3人はのけぞって文字通り仰天。「だから北九州へ引っ越します」またもやエエーッ!?と天井を仰いでいました。その時娘と二人で同時に思い出したのです。10年前私が70歳だった時にインド占星術をする人から二人でホロスコープを作ってもらってひとりずつ見てもらった時のことを。私は「80歳の時に出会いがある」と言われていたのでした。なぜかその時まですっかり忘れていて、娘に報告したとたんに「そうだ!」と二人で異口同音に思い出していたのでした。

70歳の時に10年後と言われてもピンと来ません。「80歳だったら相手は80代のおじいちゃんでしょう?そんなのいやだわ」と言ったらその方は「いいえ、年下の人です」と言ったのです。まさしくその通りでした。

その数日後、娘があらかじめ用意していてくれた「尚さんのピースボート報告会」と銘打った集まりには何と30人近い人達が集まってくれました。冒頭皆さんに「ただいま」を言ってからすぐ、「実は5か月後にまた乗ることになったのです。それもハネムーンで」と言ったらキャーッ!とかエエ-ッ?とか大騒ぎ、大興奮の場になってしまいました。それはそうでしょう。集まった人たちの大半が30代か40代の未婚の男女が多かったのですから。すみません。先を越してしまって、という感じでした。でも皆さんがとても喜んでくださって「勇気をもらった」とか「希望が湧いた」などと言ってくれて嬉しかったです。それはその後もいろいろな場で同じような反応があり、中には私が全然知らない方たちの集まりでも笑顔と拍手の渦になったという話をあちこちで聞きました。私は知らずに場を明るくすることで貢献していたみたいです。

その後約束通り8月のお盆過ぎ19日20日と彼の家を初訪問しました。彼も私と同様何でも一人で決めて一人で行動して来た人なので、今回のことも3人の娘さんたちには事後報告のみ。近くに住む娘さん二人とは会うことが出来ご挨拶しました。そして21日、宮崎に住む親友が福岡まで来るならぜひうちにも来て、と言うので1泊で出かけました。そして翌日東京へ帰るために宮崎空港へ行くと夏休み中の土曜日とあって大混雑。急に立ち止まった前の人に私のキャリーバッグがぶつかって止まり、少し急いでいた私は勢い余って転倒、固い床に左の腰を思い切りぶつけてしまいました。完全に骨折です。救急車で運ばれ折れた左足の付け根を金属で固定する手術を受けることになりました。

手術に立ち会いが必要ということで宮崎の友人とSさんが福岡から1泊で駆けつけてくれることになりました。まだすっぴんが平気なほどの付き合いにもなっていないのに導尿の袋をぶらさげた何ともみっともない姿を見せることとなり恥ずかしいやら申し訳ないやら。そのまま5週間の入院となってしまいました。

長い留守をした後なので大勢の人と会う約束があったのにみんなキャンセル。前回の入院時と同様それがいちばん残念なことでした。毎日リハビリに励み脚は順調に回復し、9月30日に退院。迎えに来てくれた娘とともに飛行機で我が家へ帰りました。その3週間後には彼が上京し、1週間私の狭いマンションに泊まり込んで引っ越しの準備を手伝ってくれました。そして荷物を送り出した日、一緒に東京駅から新幹線で彼の家へ。着くまでは杖が手放せなかったのですが、お向かいの方にご挨拶するために玄関を出たときはいつの間にか杖を忘れていて、それっきり杖はいらなくなってしまいました。術後2ヶ月とちょっとの頃でした。ようやく荷物が片付いた3週間後娘の結婚式に参列するため二人で宮崎の神社へ向かいました。

式には長女や孫娘、オランダやスコットランドから一時帰国中の友人たちも出席してくれて白無垢姿の花嫁を祝福してくれました。翌日は今度は私たちの報告式。二人して神妙にお祓いを受けました。

家にいったん戻り、5日後には親子合同の結婚披露パーティーという前代未聞のイベントのため二人で上京。娘と共通の友人知人たちを80人お呼びして会費制の和やかな会となりました。

そして九州へ戻るなり、今度は2週間後に控えた90回クルーズのための荷造りです。大きな段ボール3個とスーツケースを2個送り出し、リュックを背負いキャリーバッグを引っ張って12月17日の出航前日に横浜で宿泊するため出発しました。